私が育った町のお隣にある東川町
北の住まい設計社は、北海道上川郡にある東川町の奥のまた奥にある家具メーカーです。40年以上も実直に家具を作り続けている北の住まい設計社は私の地元自慢の一つです。そして憧れでもあります。
その存在を知ったのは私が北海道を離れて、社会人になってからでした。北海道で暮らしていた時も旭川近郊は家具の産地だという事はもちろん知っていたのですが、まだまだ若かった私は地場産業に全く興味を持たず見向きもしていませんでした。
よくある話ですが、若かりし頃は都会への憧れがとても強く、早く地元を離れて東京へ行きたいと思っていました。その頃の私はというと、四六時中洋服の事で頭がいっぱいでした。雑誌で見る華やかな東京に憧れを抱き、そのキラキラと輝いて見える部分と自分が住んでいる場所を比べていました。
私は高校を卒業して東京の服飾学校へと進学しました。
憧れの都会での生活は刺激的で楽しかったです。
憧れの原宿に渋谷、代官山に実際に行くことができて、雑誌の中の世界に飛び込んだような気分でした。
しかし北海道を離れたことで地元に対する見え方にも変化がありました。
故郷を俯瞰的に捉えることができて、生まれ育った土地の美しさと素晴らしさを身に染みて感じました。
そこに気付けた事が私にとっては大きな収穫だったと思います。
初めて北の住まい設計社のことを知ったのは、当時まだ交際中だった妻から教えてもらいました。結婚する前から北海道に一緒に帰省していて、その度に妻の行きたいお店を巡るというのがお決まりのコースでした。そのリストの中に北の住まい設計社がありました。
初めて実際に北の住まい設計社に行った時、まず森の中にいるようなロケーションに心を掴まれました。店舗に置いてある家具や雑貨、カフェの空間、そのどれも佇まいが美しく『自分の好きがここにある』と感じたのを覚えています。
若かった私もその頃には社会人になり、経験や年齢を重ね、ファッションだけではなく食や住にも興味が湧いてきた頃でした。衣食住の文字の順番は本当によく考えられていると思います。
中学生の頃にUS古着やアメカジを覚えてからずっとアメリカンカルチャーに傾倒していたのですが、北の住まい設計社で感じた芯の強さ、そして北欧文化の凛とした佇まいや美しさ、自然との融合に心が惹きつけられました。
幾度となく訪れていた北の住まい設計社。いつかの帰省の際に、偶然にもフィンランドの生活雑貨などの商品をたくさん集めた”フィンランドマーケット”(正式な名称は忘れてしまいました…)が開催されていました。その店舗内イベントスペースのメインに大きなパネルがありました。そこにはオーナーの渡邊御夫妻が実際に見て経験してきたフィンランドでの暮らしの様子や文化が書かれていました。時や物を大切にした自然体な暮らし。私はそれを読みフィンランドへの興味が一気に高まりました。北海道と北欧は気候が近いことから暮らし方にも共通点が多く、大袈裟かもしれませんが私のDNAに組み込まれているのではないかとも思いました。
1970年代の日本経済が急成長している時代に、自然と共に暮らし、いち早く根をはった生き方に目を向け、そして実践してきた渡辺御夫妻。過去のインタビューで当時の苦労も語られているのを拝見しました。それでも実直に続けてこられたという事は並大抵のことではないと思います。
北の住まい設計社が教えてくれた事は私の根底になり、のちにmiddleを立ち上げる際に大切なコンセプトのベースになっています。
私の人生に大きな影響を与えてくれた北の住まい設計社。
その姿勢に憧れと尊敬の念を抱いています。
kenta