娘とぼく。

投稿日:

ぼくにはもうすぐ2歳になる娘がいます。名前は翠と書いて「すい」と読みます。子供が生まれた時に男の子だったらぼくが名前を決めて、女の子だったら妻が決めるという約束だったので、娘の名前は妻が考えました。小さな子供がいるお母さんにはよく、教育テレビの「みいつけた!」に出てくるスイちゃんから取った名前なのかと聞かれますが、そうではありません。草や木の葉が雨に濡れて美しく輝く季節に生まれたから翠なのです。それと人生の荒波をスイスイと乗り越えられるようにという意味もあります。そんな名前をぼくはとても気に入っています。

彼女は横浜市の大きな病院で、とっても小さく産まれてきました。わずか2218gでした。けれどおっぱいを辞めてご飯をいっぱい食べるようになり、毎日ムクムク成長して今ではお腹もぽっこりと出ています。父としては大きくなって欲しいから、ご飯を沢山食べる娘を見ていると安心して嬉しくなります。好きな食べ物を尋ねると「あまい」と答えます。ぼくも妻もお酒を飲まないので甘いものと珈琲が大好きです。大の甘党の遺伝子が受け継がれたようです。このまま育てば3時のおやつへのこだわりは周りのお友達よりも強くなるに違いありません。私たちの子供だからそれは宿命なのでしょう。

 

娘が産まれて、病院から我が家にやってきた時の事は今でも忘れません。退院の日は赤ちゃんが来る部屋を念入りに掃除をして、色々なことを妄想して、梅雨の雨降りの中、朝からずっとそわそわしていました。二人が入院している病院まで歩いて迎えに行ったのですが、早く会いたい一心で小走りをして向かいました。そして無事妻と娘が我が家に帰ってきた時、初めての子供なので何もわからず、これから妻と二人でこんなに小さな赤ちゃんを育てる事が出来るのだろうかと不安に感じた事を覚えています。しかし赤ちゃんの匂いに包まれた狭い部屋での生活は、不安や大変なこと以上に喜びの方が大きかったのでした。

 

 

昨年までぼくは会社員として働いていました。朝から晩まで仕事をしていたので娘と過ごせる時間は朝のわずかな時間と休日のみ。満員電車の中で、休日に撮った娘の写真を見てニヤニヤするようなごくごく一般的な新米の父親でした。娘と過ごす時間が少ない分、なかなか娘との距離は縮まらず、ぼくが抱っこをするといつも泣いていました。泣きじゃくる娘をあの手この手であやしていましたが、どれもなかなか効果がありませんでした。しかし抱っこをしながらスクワットをしてあやすのは効果的でした。妻がお風呂に入っている時間ずっとスクワットをしていたので、ぼくの体力向上にも効果があった事でしょう。

 

地元を離れ都会での子育ては閉鎖的で、友人も少なく、親や兄弟が近くにいなかったことで大体の時間を妻は娘と二人で過ごしていました。そうした環境から母親への絶対的な信頼が出来上がったのだと思います。

糸島に移住してからは、娘と毎日ずっと一緒に過ごしています。初めの頃はなかなか懐いてくれなくて大変でしたが、やっぱり同じ時間を共有して、オムツを替えたり、お風呂に入ったり、遊びに行ったりとたくさん触れ合うことで信頼関係が築けたと思います。以前は成長一つ一つを実際に目で見ていないので、娘は自然と成長しているように感じていました。ただその成長の裏には妻の大変な苦労の積み重ねがあった事を今になって感じています。それに気が付けたこと、娘の成長の瞬間を近くで見ていられること、暮らしを変えたことが様々なことを教えてくれました。娘とずっと一緒にいられる今の暮らしは、僕の人生にとって最も贅沢なことだとつくづく思うのです。

将来反抗期が来て思いっきり嫌われたとしても、ぼくはずっとずっと愛し続けていくと心に決めています。